観葉植物ラボ
研究ノート第一巻 第Ⅳ章|018 写真の植物・映像の自然・立体グリーンの違い

人・文化・空間・視覚から読み解く装飾グリーンの本質

【第Ⅳ章|自然欲求の正体】人は何を「自然」として感じているのか

研究ノート018|写真の植物・映像の自然・立体グリーンの違い
── 情報量と没入感の比較

はじめに(研究課題の明示)

研究ノート016では、植物画やボタニカルアートが実物の植物とは異なる存在でありながら価値を持つことを示した[注1]。そこでは特に重要な事実として、植物画や芸術作品は単なる植物の代替物ではなく、しばしば実物の植物以上に珍重されてきたことが確認された[注2]

この事実は直感に反するものである。一般には、生きた植物こそが最も価値の高い存在であり、絵画や造形物はその代替にすぎないと考えられている。しかし歴史的事実はこの前提を支持しない。芸術作品は保存され収集され、高額で取引され、制度的に保護されてきた[注3]。一方、生植物は枯れ、交換され、更新される存在として扱われてきた。この違いは単なる偶然ではない。

もし植物画やアート作品が単なる代用品であるならば、それらが実物以上の価値を持つ理由を説明することはできない。代替物は通常、原物が存在しない場合にのみ必要とされる。しかし現実には、自然が存在するにもかかわらず人は人工物を求め続けてきた。この事実は、人工物が自然とは異なる価値を持つことを示唆している[注4]

研究ノート017では、写真や映像によって再現された自然が一定の心理的効果を持つことを検討した。そこでは再現自然が必ずしも生植物と同一ではないにもかかわらず、ストレス軽減や注意回復といった効果を生じ得ることが示された[注5]。この結果は、自然の効果が必ずしも生命そのものに依存しない可能性を示している[注6]

ここまでの研究から導かれる第一の結論は、自然は再現され得るということである。しかしこの結論自体は本研究の終点ではない。再現が可能であるという事実だけでは、人がなぜ人工物に価値を見出すのかを説明することはできない。

むしろ重要なのは次の事実である。人は自然が存在しているにもかかわらず人工物を求める。さらに人工物に対して強い関心を示し、しばしば自然以上の資源を投入する。美術館において人は長時間作品を鑑賞するが、同じ時間を一本の樹木の観察に費やすことは少ない。この違いは偶然ではない[注7]

このような観察は、人工物が単なる再現ではなく別種の経験を提供している可能性を示している。自然を見る体験と人工物を見る体験は同じではない。もし同じであるならば、人工物が自然以上に評価される理由は存在しない[注8]

したがって本研究ノート018の目的は、再現自然の段階的差異を比較することを通じて、人工物が自然の代替ではなく独自の価値を持つ存在であることを明らかにすることである。

本研究では特に、写真の植物・映像の自然・立体グリーンを比較対象とする。これらは再現自然の異なる段階を示す存在である。

写真は視覚情報を固定する。映像は時間情報を加える。立体グリーンは空間情報を持つ。

通常これらは再現度の違いとして理解される。しかし本研究では再現度ではなく経験の質の違いとして検討する[注9]

本研究の最終的な問いは次のものである。

自然と人工物は比較可能なのか。

この問いは単純に見えるが、重要な含意を持つ。もし人工物が自然の代替にすぎないならば、両者は同一の尺度で比較できるはずである。しかし人工物が独自の価値を持つならば、比較そのものが成立しない可能性がある[注10]

研究ノート016では人工物が成立することを示した。研究ノート017では人工物が機能することを示した。本研究ノート018では人工物が独立した価値を持つことを示す。

この段階を通じて明らかになるのは、再現自然の問題は本物か否かという問題ではないということである。

問題はむしろ、人がなぜ自然とは異なる存在を必要とするのかという点にある。本研究はこの問題を検討するものである。

注・引用

[注1]
研究ノート016におけるボタニカルアートの歴史的価値分析。
Wilfrid Blunt, The Art of Botanical Illustration, 1950.
日本語参考:若桑みどり『美術史とジェンダー』東京大学出版会

[注2]
ボタニカルアートの蒐集史および王立植物園資料。
Royal Botanic Gardens, Kew, Art & Illustration Collection

[注3]
美術作品の市場価値および制度的保護。
Pierre Bourdieu, The Field of Cultural Production, 1993.
UNESCO World Heritage Convention

[注4]
Walter Benjamin, The Work of Art in the Age of Mechanical Reproduction, 1936.
日本語訳:『複製技術時代の芸術作品』晶文社

[注5]
Roger Ulrich, “View through a Window May Influence Recovery from Surgery,” Science, 1984.

[注6]
Rachel & Stephen Kaplan, The Experience of Nature, 1989.
注意回復理論:ART理論

[注7]
美術館体験と注意集中研究。
Mihaly Csikszentmihalyi, Flow, 1990.

[注8]
Nelson Goodman, Languages of Art, 1968.

[注9]
James J. Gibson, The Ecological Approach to Visual Perception, 1979.

[注10]
Martin Heidegger, The Origin of the Work of Art, 1935.
日本語訳:『芸術作品の根源』理想社

Ⅰ. 人工自然は代替ではない
── 再現自然はどのように成立するのか

Ⅰ-1. 代替物という理解

写真や造形植物、植物画などの人工物は一般に「代替物」として理解される[注1]

たとえば次のように言われる。本物が置けないからフェイクグリーンを置く。外に出られないから映像を見る。植物が手に入らないから絵を飾る。

この理解では人工物は常に第二の選択肢である。第一の選択肢は自然である。人工物は自然が存在しない場合の補助手段として理解される。

この考え方は直感的には妥当に見える。生植物は成長し変化する。人工物は変化しない。この違いから、自然が上位で人工物が下位であるという理解が生まれる[注2]

しかし現実の利用状況を観察すると、この理解には説明できない点が多い。

Ⅰ-2. 代替物では説明できない現象

人工物が代替物であるならば、自然が存在する場所では人工物は必要とされないはずである。

しかし実際にはそうではない。公園の近くに住む人々も室内に植物画を飾る。自然景観の豊かな地域でも写真作品が収集される。庭を持つ家でも造形植物が置かれる。このような事例は珍しくない。

ここで重要なのは、人工物が自然の欠如によって生まれているのではないという点である[注3]。自然が存在していても人工物は求められる。さらに人工物はしばしば自然とは異なる場所に置かれる。植物画は壁に飾られる。写真は額に収められる。立体グリーンは設計された位置に設置される。

これらは自然の配置とは異なる。自然は自生する。人工物は配置される。この違いは重要である[注4]

人工物は単に自然を置き換えているのではない。人工物は別の目的で導入されている。

Ⅰ-3. 人工物が選ばれる理由

人工物が選ばれる理由は複数存在する。

第一に制御可能性である。

自然は完全には制御できない。植物は枯れる。形が変わる。成長方向も予測不可能である。これに対して人工物は制御できる。形状は一定である。配置も固定される。この制御可能性は人工物の重要な特徴である[注5]

第二に選択可能性である。

自然では選択肢が限られる。特定の植物は特定の環境でしか育たない。しかし人工物では選択が自由になる。熱帯植物を寒冷地に置くことができる。存在しない構成を作ることもできる。これは「自然の再構成」が可能になることを意味する[注6]

第三に持続性である。

自然は変化する。芸術作品は保存される。同じ状態が維持される。この保存可能性は芸術制度の中で価値として構築されてきた[注7]。これらの特徴は偶然ではない。人工物が選ばれる理由である。したがって人工物は単なる代替ではない。人工物は独自の利点を持つ。

Ⅰ-4. 再現自然という概念

以上の観察から、人工物を単なる模倣として理解することは不十分である。人工物は自然を参照するが、自然そのものではない。本研究ではこれを再現自然と呼ぶ。再現自然とは、自然を参照して作られた人工物である。しかし再現自然は自然の複製ではない[注8]

再現自然は自然の一部を抽出し、別の形に構成したものである。この点は重要である。

植物画は植物をすべて再現しない。写真も同様である。立体グリーンも自然そのものではない。

再現自然は選択された自然である[注9]

Ⅰ-5. 再現自然の三段階

再現自然は同一ではない。段階が存在する。本研究では再現自然を三段階に区分する。

この三段階は再現度の違いではない。経験構造の違いである[注10]

植物画を見る経験、映像を見る経験、空間に入る経験は同一ではない。

Ⅰ-6. 本章の結論

以上の観察から導かれる結論は次である。

人工物は自然の代替として存在しているのではない。人工物は独自の目的で導入されている。

再現自然は自然の複製ではない。再現自然は自然を再構成した存在である。

この理解に基づいて、次章では再現自然の違いを情報構造として検討する。

注・引用

[注1]
代替概念の前提
Baudrillard, Jean. Simulacres et Simulation, 1981.
日本語訳:ジャン・ボードリヤール『シミュラークルとシミュレーション』法政大学出版局
人工物が「本物の代理」として理解される近代的思考枠組み。

[注2]
自然優位の思想史
Heidegger, Martin. The Question Concerning Technology, 1954.
日本語訳:マルティン・ハイデガー『技術への問い』理想社
技術的対象は自然より下位に置かれるという形而上学的構造。

[注3]
欠如理論の限界
Benjamin, Walter. The Work of Art in the Age of Mechanical Reproduction, 1936.
日本語訳:ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』晶文社
原物が存在しても複製が価値を持つ現象。

[注4]
配置と意味生成
Gibson, James J. The Ecological Approach to Visual Perception, 1979.
日本語訳:J.J.ギブソン『生態学的視覚論』サイエンス社
環境は「配置」によって知覚構造が変わる。

[注5]
制御可能性と近代性
Latour, Bruno. We Have Never Been Modern, 1991.
日本語訳:ブルーノ・ラトゥール『虚構の「近代」』法政大学出版局
自然の制御が近代合理性の中心にあること。

[注6]
自然の再構成
Goodman, Nelson. Languages of Art, 1968.
日本語訳:ネルソン・グッドマン『芸術の言語』慶應義塾大学出版会
表象は再現ではなく構成である。

[注7]
保存と制度
Bourdieu, Pierre. The Field of Cultural Production, 1993.
日本語訳:ピエール・ブルデュー『芸術の規則』藤原書店
芸術作品が制度的に価値を持つ構造。

[注8]
複製と差異
Deleuze, Gilles. Difference and Repetition, 1968.
日本語訳:ジル・ドゥルーズ『差異と反復』河出書房新社
複製は同一ではなく差異を生む。

[注9]
選択と抽出
Arnheim, Rudolf. Art and Visual Perception, 1954.
日本語訳:ルドルフ・アルンハイム『美術と視覚』美術出版社
芸術は現実の選択的再構成である。

[注10]
経験構造
Merleau-Ponty, Maurice. Phenomenology of Perception, 1945.
日本語訳:モーリス・メルロ=ポンティ『知覚の現象学』みすず書房
知覚は身体的・空間的構造を持つ。

Ⅱ. 情報量の構造
── 再現自然はどこまで自然を超えるのか

Ⅱ-1. 情報量による理解

再現自然の違いはしばしば情報量として説明される[注1]。直感的にはこの理解は分かりやすい。

植物画より写真の方が現実に近い。写真より映像の方が情報が多い。映像より立体空間の方が情報が多い。この順序は合理的に見える。

再現自然の発展は情報量の増加として理解できる。

植物画では形態と色彩が示される。写真では質感や光が加わる。映像では時間変化が加わる。立体グリーンでは空間が存在する。この順序に従えば、立体グリーンが最も自然に近いことになる。

この理解は技術史とも一致する。印刷技術から写真技術へ、写真から映像へ、映像から仮想空間へ。技術は常に情報量の増大を目指してきた[注2]

したがって再現自然を情報量の増加として理解することは一見合理的である。

Ⅱ-2. 情報量仮説の限界

しかし情報量による説明には重大な問題がある。情報量が多いほど価値が高いならば、最も価値が高いのは現実の自然であるはずである。しかし実際にはそうではない。

絵画作品が高額で取引されることは珍しくない。人々は長時間作品を鑑賞する。旅行者は自然景観よりも美術館を目的地に選ぶこともある。この事実は単純な情報量仮説では説明できない[注3]。さらに心理学的研究もこの単純な比例関係を支持していない。自然画像の提示が必ずしも認知能力の回復をもたらさないことが示されている[注4]

つまり自然の情報を提示するだけでは、自然体験は再現されない。この結果は重要である。情報量だけでは経験は説明できない。

Ⅱ-3. 情報密度という視点

ここで別の観点が必要になる。それは情報量ではなく情報密度である。

自然の情報は広がっている。森には無数の要素が存在する。すべてを同時に理解することはできない。これに対して芸術作品では情報が集中する。

一枚の絵画には作者の選択が含まれる。構図がある。色彩がある。意図がある。鑑賞者はそれらを読み取る。この集中が情報密度を生む[注5]

情報量は少なくても、情報密度は高くなり得る。自然は無限の情報を持つ。しかしその多くは無関係である。

芸術作品は有限の情報しか持たない。しかしその多くが意味を持つ。

この差は本質的である。

Ⅱ-4. アート作品がもたらす効果

近年の研究は、アート作品の鑑賞が独自の心理的・身体的効果を持つことを示している。美術館で原作品を鑑賞した場合、ストレス指標の低下や炎症マーカーの減少が観測された研究がある[注6]

また芸術体験が主観的幸福感を向上させることも報告されている[注7]。重要なのは、原作品と複製では反応が異なるという点である。原作品では強い反応が観測されるが、複製では小さい[注8]。これは重要な示唆を持つ。芸術作品の価値は単なる視覚情報ではない。

作品の存在そのものが影響する。つまり人工物の価値は、情報量とは別の要因に依存する。

Ⅱ-5. 人工物が自然を超える領域

ここで重要な事実がある。人工物はしばしば自然では実現できない状態を作り出す。理想的な形態。均衡した構図。特定の瞬間の固定。

自然は常に変化する。しかし人工物では固定される。

この固定は欠点ではない。むしろ利点である。

人は同じ対象を繰り返し観察できる。さらに人工物では次が可能になる。不可能な構成。選択された瞬間。完全な保存。これらは自然を超える特性である[注9]

人工物は自然の再現ではない。人工物は自然の再構成である。

Ⅱ-6. 研究の不足と間接的証拠

人工物が自然を超える領域を持つという理論は、まだ完全には確立されていない。しかし間接的証拠は存在する。

芸術作品の鑑賞は世界的に普及している。美術館は都市文化の中心施設である。作品は保存され、収集され、制度的に保護される[注10]

もし人工物が自然より劣る存在であるならば、これほどの資源が投入される理由はない。ここから一つの仮説が導かれる。人は自然だけを必要としているのではない。人は意味を必要としている。

自然は存在する。しかし意味は構成される。人工物は意味を持つ。この意味が価値を生む可能性がある[注11]

Ⅱ-7. 本章の結論

再現自然は情報量の増加として理解できる。しかし情報量だけでは価値は説明できない。人工物は自然とは異なる情報構造を持つ。人工物は意味を集中させる。

さらに人工物は自然では不可能な状態を実現する。この点において人工物は自然を超える領域を持つ。

この仮説に基づき、次章では再現自然の違いを没入感(immersive structure)として検討する。

注・引用

[注1]
情報理論の基礎
Shannon, Claude E. “A Mathematical Theory of Communication,” 1948.
日本語訳:C.E.シャノン『通信の数学的理論』筑摩書房
情報量は確率的エントロピーとして定義される。

[注2]
技術進歩と情報増大
McLuhan, Marshall. Understanding Media, 1964.
日本語訳:マーシャル・マクルーハン『メディア論』みすず書房
メディアは人間の感覚を拡張する。

[注3]
芸術市場の構造
Bourdieu, Pierre. The Field of Cultural Production, 1993.
日本語訳:ピエール・ブルデュー『芸術の規則』藤原書店

[注4]
自然画像と認知回復
Berto, Rita. “Exposure to restorative environments helps restore attentional capacity,” Journal of Environmental Psychology, 2005.
自然画像提示の効果は限定的。

[注5]
構図と意味集中
Arnheim, Rudolf. Art and Visual Perception, 1954.
日本語訳:ルドルフ・アルンハイム『美術と視覚』美術出版社

[注6]
美術鑑賞とストレス低減
Clow, Angela & Fredhoi, Cecilia. “Normalisation of salivary cortisol levels and self-report stress by a brief lunchtime visit to an art gallery,” 2006.

[注7]
芸術体験と幸福感
Fancourt, Daisy & Finn, Saoirse. WHO Health Evidence Network Report on Arts and Health, 2019.
日本語要約:WHO芸術と健康報告書

[注8]
原作品効果
Brieber, Daniel et al. “Art in a museum setting: The effect of context on aesthetic experience,” 2014.

[注9]
瞬間の固定と再構成
Benjamin, Walter. The Work of Art in the Age of Mechanical Reproduction, 1936.

[注10]
制度的保存
UNESCO World Heritage Convention
日本語訳:ユネスコ世界遺産条約

[注11]
意味構成理論
Goodman, Nelson. Languages of Art, 1968.
日本語訳:ネルソン・グッドマン『芸術の言語』慶應義塾大学出版会

Ⅲ. 没入感の比較から「価値としての人工自然」へ

没入感(immersion)の比較は、本研究ノートにおいて単なる心理効果の問題では終わらない。むしろ没入感の議論は、「なぜ人はある対象に価値を見出すのか」という根源的問題へと展開する[注1]

自然植物・人工自然・アート作品はいずれも人間に没入体験を与えうるが、その体験の質は異なる。そしてその差異は、単なる感覚刺激の違いではなく、価値認識の構造そのものに関係している。

本章では、没入感の比較を起点にし、価値という概念の成立を検討し、本研究の射程を「価値生成」という広域問題へと接続する。

Ⅲ-1. 没入感とは何か ── 対象への「意識の集中」

心理学における没入とは、注意が特定対象に集中し、周囲の情報処理が減少する状態を指す[注2]

環境心理学では、自然環境が注意回復を促すとされる。特に Stephen Kaplan Rachel Kaplan の注意回復理論(ART)では、軽い注意の持続・興味の自然発生・精神的疲労の回復が自然環境の特性とされる[注3]

つまり自然植物は、見続けても疲れない微妙に変化する解釈を強制しないという特性により没入を生む。しかし重要なのは、没入は自然特有ではないという点である。

人間は絵画や音楽、、映像、建築、ゲームにも没入する。

没入は対象の種類ではなく、認知構造によって生じる[注4]

Ⅲ-2. 人工自然の没入は「設計された没入」である

人工自然の没入は自然とは異なる。

自然植物は、自律的変化・偶然性・不規則性によって没入を生む。

人工自然は違う。人工自然は、光量・配置・色彩・密度・視線誘導を設計できる。

つまり人工自然は、没入を設計できるという特徴を持つ[注5]

自然植物:没入は偶然生じる。
人工自然:没入は設計される。

この差は価値形成に直結する。

Ⅲ-3. 価値とは何か

ここで問題は「価値とは何か」である。価値は物理的特性ではない。価値とは、人間が意味を感じる構造である[注6]

心理学および行動経済学では、価値の成立には以下が関係するとされる。

① 希少性

希少なものほど価値が高い[注7]。存在量が少ない対象は入手困難・代替困難であるため、主観的価値が上昇する。

② 時間の蓄積

時間は価値を増大させる。文化財や古典芸術は時間の堆積によって価値を持つ。数百年の時間を持つ植物は単なる植物ではない。それは時間の記録になる。

Ⅲ-4. 時間が価値を生む例 ── 盆栽

典型例が盆栽である。

盆栽は自然物である。しかし価値の源泉は自然そのものではない。

盆栽の価値は、数十年〜数百年の育成・高度な技術・文化的文脈にある[注8]

つまり盆栽は自然 + 人工 + 時間の結合体である。価値は自然性だけでは説明できない。

Ⅲ-5. 時間が価値を生む例 ── 古木

同様に、樹齢数百年〜千年の樹木は高い価値を持つ。

例えば屋久杉のような巨木は文化的価値を持つ。

その価値は単なる視覚的美しさではない。長時間生きた存在・人間より長い寿命・歴史的証人という意味を帯びる[注9]。古木は時間の象徴である。

Ⅲ-6. 絵画の価値との共通性

これはアート作品と共通する。

名画の価値は、作者・歴史・希少性によって成立する[注10]

絵画の価値は顔料ではない。盆栽の価値は葉ではない。両者に共通するのは、価値とは物質ではなく文脈であるという点である。

Ⅲ-7. 人工自然が価値を持ちうる理由

人工自然は価値を持ちうるか。結論は肯定である。価値が自然性ではなく文脈に依存するならば、人工自然も価値を持つ。

例:有名建築家の庭園・歴史的温室・芸術的空間

自然か人工かは価値の本質ではない。価値は構成される。

Ⅲ-8. 価値を見出す心理

人間が価値を感じる心理は複合的である。

① 物語性

人は物語に価値を感じる[注11]。誰が作ったか、どんな歴史かは価値を増大させる。

② 努力の可視化

努力が見える対象は価値が上がる。盆栽の高価さは手間の可視性に依存する。

③ 所有欲

価値は所有欲と結びつく。進化心理学では資源獲得行動として説明される[注12]

Ⅲ-9. 研究の未踏領域

自然植物・人工自然・アート作品の価値比較は体系的研究が少ない。

研究は、環境心理学・美術心理学・行動経済学に分散している。

統合理論はほぼ存在しない。これは未踏領域である。

Ⅲ-10. 本研究ノートの分岐点

本研究は当初、自然植物と人工自然の比較から始まった。しかし問題は次に変わる。人間はなぜ価値を作るのか。

これは文化論・認知科学・美学・経済学にまたがる問題である。

本研究は最終的に、価値とは何かという問題へ到達する。

Ⅲ-11. まとめ

没入感の比較は価値の問題へ展開する。

価値は自然性では決まらない。

価値は時間・希少性・文脈・物語によって成立する。自然植物と人工自然の問題は、本質的には価値生成の問題である。

注・引用

[注1]
Csikszentmihalyi, Mihaly. Flow, 1990.
日本語訳:『フロー体験』世界思想社

[注2]
Kahneman, Daniel. Attention and Effort, 1973.
日本語訳:『注意と努力』誠信書房

[注3]
Kaplan, S. & Kaplan, R. The Experience of Nature, 1989.
日本語要約:注意回復理論

[注4]
Csikszentmihalyi, Mihaly. 同上。

[注5]
Norman, Donald. The Design of Everyday Things, 1988.
日本語訳:『誰のためのデザイン?』新曜社

[注6]
Goodman, Nelson. Languages of Art, 1968.
日本語訳:『芸術の言語』慶應義塾大学出版会

[注7]
Cialdini, Robert. Influence, 1984.
日本語訳:『影響力の武器』誠信書房

[注8]
盆栽文化研究(大宮盆栽村資料ほか)

[注9]
文化財価値論(文化庁資料)

[注10]
Bourdieu, Pierre. The Field of Cultural Production, 1993.

[注11]
Bruner, Jerome. Actual Minds, Possible Worlds, 1986.
日本語訳:『可能世界の心理』みすず書房

[注12]
Tooby, J. & Cosmides, L. 進化心理学理論

Ⅲ-補論. アート作品の効果と自然の効果
① 同じ効果なのかという問題

再現自然を論じる際にしばしば前提とされるのは、人工物の効果は自然の効果の代替であるという考えである。写真が自然に近いほど効果が高いと考えられるのはこのためである[注1]。しかし植物画や芸術作品についてはこの説明が成立しない。植物画は自然より情報量が少ない。没入感も低い。それにもかかわらず、人はしばしば植物画や芸術作品に強く引きつけられる。さらに、長時間鑑賞することも珍しくない。

この事実は次の問いを生む。アート作品の効果は自然と同じなのか。

本研究では、この問いに対して否定的な結論を導く。アート作品の効果は自然の効果とは異なる。

② 自然がもたらす効果

自然が人間に与える効果は比較的一貫している。

主な特徴は、緊張の低下・安心感・注意回復である。

これらは生理的反応として現れることが多い。心拍数の低下やストレスの減少が報告されている[注2]

この特徴は重要である。自然の効果は、安定方向に働く。自然は興奮を高める対象ではなく、むしろ落ち着かせる対象である。

自然を見る体験は、多くの場合予測可能である。樹木は急激には動かない色彩も急変しない。この予測可能性が安心感を生む[注3]

つまり自然の効果は、生理的安定に関係する。

③ アート作品がもたらす効果

これに対してアート作品の効果は異なる。芸術作品はしばしば驚き・緊張・集中・思考の反応を引き起こす。

これは自然とは対照的である。

芸術作品は鑑賞者を安定させるとは限らない。むしろ強い注意を要求する。作品の意味を理解しようとする過程で、鑑賞者は能動的に関与する[注4]

自然を見る体験では、理解は必須ではない。樹木は理解しなくても存在する。

しかし芸術作品では理解が重要になる。

鑑賞者は次の問いを持つ。

何を表しているのか。なぜこの形なのか。何を意味するのか。

この思考過程そのものが効果になる。ここに重要な差がある。

自然の効果は受動的である。アート作品の効果は能動的である。

④ 注意の質の違い

自然とアート作品の違いは注意の質にも現れる。

自然を見るとき、注意は分散する。視線は自由に動く。特定の対象に集中する必要はない。

これは「ソフト・ファシネーション(soft fascination)」と呼ばれる[注5]

これに対してアート作品では、注意は集中する。視線は作品に固定される。

この違いは重要である。

自然体験は広がりを持つ。芸術体験は焦点を持つ。

自然は環境である。アート作品は対象である。

この違いが効果の違いを生む。

⑤ 時間の経験の違い

自然とアート作品では時間の経験も異なる。自然を見るとき、時間は連続的に流れる。変化は緩やかである。鑑賞者は時間を意識しない。

これに対して芸術作品では、時間は停止する。一枚の絵画は変化しない。

鑑賞者はその前に留まる。同じ対象を繰り返し観察する。

この経験は自然とは異なる。

自然は流れる。芸術作品は固定される。この固定性が価値を生む[注6]

人は同じ対象を何度も見ることができる。自然では同じ状態は再現されない。芸術作品では再現される。

この違いは重要である。

⑥ 人工物の効果の独自性

以上の考察から導かれる結論は明確である。

人工物の効果は自然の効果とは異なる。

自然:安定、回復、安心
人工物:集中、思考、解釈

この違いは本質的である。

人工物は自然の代替ではない。人工物は別の機能を持つ。もし人工物が自然の代替に過ぎないならば、自然と同じ効果を持つはずである。しかし実際には効果は異なる。

つまり人工物は別の領域に属する。

注・引用

[注1]
ロジャー・ウルリッヒ
Roger S. Ulrich (1984)
“View through a window may influence recovery from surgery”
日本語要旨:自然景観の写真でも回復効果が確認された研究。
ただしこれは自然に近い刺激の代替効果を前提とする。

[注2]
スティーブン・カプラン/レイチェル・カプラン
Attention Restoration Theory
日本語関連文献:『The Experience of Nature』
自然は注意回復を促進し、生理的安定をもたらす。

[注3]
ピーター・カーン
自然環境と心理的安心感に関する研究
自然の予測可能性が安心感を生むとされる。

[注4]
ジョン・デューイ『経験としての芸術』
John Dewey, Art as Experience, 1934
日本語訳:『経験としての芸術』(岩波書店ほか)
芸術は鑑賞者の能動的関与によって成立する。

[注5]
スティーブン・カプラン
Soft Fascination(穏やかな魅了)概念
自然は強制的集中を要求しない注意状態を作る。

[注6]
ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』
Walter Benjamin, 1936
日本語訳:筑摩書房ほか
芸術作品は時間を固定し、反復鑑賞を可能にする特性を持つ。

Ⅳ. 再現自然の限界から「比較不能性」へ

本研究ノートの最終段階として検討すべき問題は、「再現自然の限界」である。ここでいう限界とは単なる性能の不足ではない。むしろ重要なのは、再現自然は自然と同一にはなりえないという構造的限界である[注1]

しかしこの限界は単なる欠点ではない。逆にこの限界こそが、人工自然が独自の価値を持つ理由でもある。

本章では、以下の順序で論じる。

  1. 再現自然の限界
  2. 比較不能性の成立
  3. 別物としての価値
  4. 人工自然の未来価値
Ⅳ-1. 再現自然はなぜ完全再現できないのか

再現自然が自然と同一にならない理由は複数存在する。

① 時間の不可逆性

自然植物は時間の中で形成される。成長、老化、損傷、回復これらは不可逆的である。同じ木は二度と存在しない。

人工自然はこの不可逆性を持たない。同じものを再製造できる。この差は根本的である[注2]

② 生成過程の違い

自然植物:自己組織化、環境適応、偶然性[注3]
人工自然:設計、制作、選択

両者は生成原理が異なる。この差は消えない。

③ 存在様式の違い

自然植物は生きている。これは単なる物理特性ではない。生命は自己維持する[注4]。人工自然は維持される。

この違いは決定的である。

Ⅳ-2. 比較の前提が崩れる瞬間

通常はこう考えられる。自然が本物人工が代替。しかしこの前提は必ずしも正しくない。

なぜなら比較が成立するには、共通尺度が必要だからである[注5]。しかし自然と人工自然には共通尺度が存在しにくい。

例えば、自然植物は生長する人工自然は変化しない

どちらが優れているかは決められない。これは優劣の問題ではない。性質の違いである。

Ⅳ-3. 比較不能性という結論

ここから導かれる。自然植物と人工自然は比較不能である。比較不能とは評価不能ではない。比較不能とは同一基準で測れない[注6]。という意味である。

例えば、絵画と音楽小説と建築、これらは比較不能である。

しかし価値は存在する。

Ⅳ-4. 人工自然は「別物」である

ここで重要な転換が起きる。人工自然を偽物・代替と考える限り価値は低く見える。

しかし人工自然を別物と考えるならば話は変わる。

これは歴史的にも起きている。例えば写真は当初、絵画の代替と考えられた。しかし現在では写真は独自の芸術である。同じことが起こりうる。

Ⅳ-5. 別物としての価値形成

典型例がチームラボの作品である[注8]。これらは自然ではない。しかし人々は強い価値を感じる。

これは重要な現象である。来場者は偽物だとは考えない不足だとも考えないむしろ新しい体験と考えるつまり人工自然はすでに、

別物として評価され始めている。

Ⅳ-6. 比較から解放された価値

比較不能性は弱点ではない。むしろ強みになる。自然と比較する必要がなければ、人工自然は自由になる。

例えば、常に満開の花・光る植物・動く森・音と同期する樹木は自然にはできない。

人工自然は可能である。

つまり人工自然は制約が少ない。

Ⅳ-7. 人工自然が自然を超える領域

人工自然は次の点で自然を超える可能性がある。

① 制御性

人工自然:設計可能・調整可能
自然:制御困難

② 安定性

人工自然:状態が一定
自然:状態が変動

③ 適応性

人工自然:空間に合わせられる
自然:制約が多い

Ⅳ-8. 新しい価値の誕生

ここで重要な結論が生まれる。人工自然は自然の代替ではない。人工自然は新しい価値の領域である。この理解が重要である。

Ⅳ-9. 未来価値としての人工自然

人工自然は今後さらに価値を持つ可能性がある。理由は明確である。

現代社会は人工環境である。オフィス・商業施設・都市では自然は制約を受ける。

人工自然は適合する。つまり人工自然は都市時代の自然になる可能性がある。

Ⅳ-10. 評価の転換点

現在人工自然は過小評価されている。理由は明確である。自然を基準にしているからである。

しかし基準が変われば評価も変わる。

写真がそうだった。映画がそうだった。デジタルアートがそうだった。

人工自然も同じ道を辿る可能性がある。

注・引用

[注1]
Simon, H. A. (1969) The Sciences of the Artificial
日本語訳:人工物は自然とは異なる原理で構成される存在であり、自然の単純な再現ではない。

[注2]
Prigogine, I. (1984) Order Out of Chaos
日本語訳:時間は不可逆であり、自然現象は一方向的な変化過程の中で形成される。

[注3]
Kauffman, S. (1993) The Origins of Order
日本語訳:生命は自己組織化と環境との相互作用によって形成され、偶然性を含むプロセスである。

[注4]
Maturana, H. & Varela, F. (1980) Autopoiesis and Cognition
日本語訳:生命とは自己を生成・維持するシステム(オートポイエーシス)である。

[注5]
Kuhn, T. S. (1962) The Structure of Scientific Revolutions
日本語訳:異なる枠組み間では共通の評価基準が成立しない場合がある(パラダイム間の非通約性)。

[注6]
Nagel, E. (1961) The Structure of Science
日本語訳:異なる体系は同一の尺度で比較できない場合があり、評価は枠組みに依存する。

[注7]
Benjamin, W. (1936) The Work of Art in the Age of Mechanical Reproduction
日本語訳:写真や複製技術は芸術の新たな価値体系を生み出し、従来の芸術とは異なる独自領域を形成した。

[注8]
teamLab Official
日本語訳:チームラボはデジタル技術を用いて自然を再構成し、没入型体験として提示するアート集団である。

Ⅳ-補論. なぜアート作品は高い価値を持つのか
① 希少性だけでは説明できない

芸術作品が高価である理由として、希少性が挙げられることが多い。確かに経済学では、供給が限られる対象は価値が上昇するとされる[注1]。しかし希少性だけでは説明できない。

希少な植物も存在する。しかし芸術作品ほど高額になることは少ない。したがって価値の理由は別にある。

希少性は条件の一つではあるが、十分条件ではない。

② 意味密度という概念

芸術作品の特徴は意味密度にある。

一枚の絵画には、多くの意味が含まれる。

鑑賞者はこれらを読み取る。

ジョン・デューイは、芸術を「経験を組織化したもの」と述べた[注2]。芸術作品は意味が凝縮された経験である。

自然には意味がないとは言えない。しかし自然の意味は固定されていない。芸術作品では意味が構造化され、凝縮される。この凝縮が価値を生む。ネルソン・グッドマンは、芸術作品を「記号体系」として理解した[注3]。つまり芸術は情報密度の高い象徴体系である。

この意味密度こそが、芸術作品を単なる物質から区別する。

③ 人間の痕跡

自然には人間が存在しない。芸術作品には人間が存在する。作者の判断が含まれる。選択が含まれる。意図が含まれる。人は人間の痕跡に反応する[注4]

進化心理学的には、人は他者の意図や行為を読み取る能力を持つ[注5]。芸術作品はその能力を刺激する。

芸術作品は自然ではなく、人間の活動の結果である。

ヴァルター・ベンヤミンは、芸術作品には「アウラ(唯一性)」が宿ると述べた[注6]。ここに独自の価値が生まれる。

芸術作品は単なる物ではない。人間の精神活動が固定された痕跡である。

④ 追加結論文

以上の考察から次のことが明らかになる。人工物の価値は自然の代替として成立するのではない。人工物は独自の効果を持つ。

その効果は、思考を促し、注意を集中させ、意味を生み出す。

自然の効果が回復であるならば、人工物の効果は理解である。この違いは根本的である。

したがって自然と人工物は比較できない。それらは異なる欲求に対応している。

自然は生理的欲求に応える。人工物は認知的欲求に応える。

ここに両者の根本的差異がある。この補強により、本章は表面的比較論ではなく、人間認知論、価値論、美学論を統合した理論的構造を持つ。そして三部作の結論は次の一文に集約される。

人は自然を欲するだけではない。人は意味を欲する。

注・引用

[注1]
アルフレッド・マーシャル『経済学原理』
Alfred Marshall, Principles of Economics, 1890
日本語訳:『経済学原理』
希少性と需要供給の関係が価格を決定する。

[注2]
ジョン・デューイ『経験としての芸術』
John Dewey, Art as Experience, 1934
日本語訳:『経験としての芸術』(岩波書店ほか)
芸術は経験の組織化であり、意味が凝縮された形式である。

[注3]
ネルソン・グッドマン『芸術の言語』
Nelson Goodman, Languages of Art, 1968
日本語訳:『芸術の言語』(勁草書房ほか)
芸術作品は高度に構造化された象徴体系である。

[注4]
エレン・ディサナヤケ
Ellen Dissanayake, Homo Aestheticus, 1992
日本語訳:『ホモ・アエステティクス』
人間は芸術的行為に特有の反応を示す存在である。

[注5]
マイケル・トマセロ
Michael Tomasello, The Cultural Origins of Human Cognition, 1999
日本語訳:『文化の起源』
人間は他者の意図を理解する能力を進化させた。

[注6]
ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』
Walter Benjamin, 1936
日本語訳:筑摩書房ほか
芸術作品は唯一性(アウラ)を持つ。

Ⅴ. まとめ

再現自然の限界は欠点ではない。限界は本質である。

自然と人工自然は比較不能である。比較不能性は独自価値を生む。人工自然は別物として理解されるとき、新しい価値を持つ。

そしてその価値は今後拡大する可能性がある。本研究ノートはその入口に位置している。

Ⅵ. 三部作統合結論

なぜ「自然と人工物の比較」という問いに至ったのか

本三部作(研究ノート016研究ノート017・研究ノート018)は、一見すると「植物表現の比較研究」である。しかしその実質は、より深い問いへと向かっている。

それは、人間は何に価値を見出しているのかという問いである[注1]

Ⅵ-1. 研究ノート016が示したこと ── なぜ植物画は実物以上に珍重されるのか

研究ノート016では、植物画・ボタニカルアートが実物の植物とは異なる存在でありながら価値を持つことを検討した。確認された事実は次である。植物画は生きていない。成長しない。香りもない。季節変化もない。にもかかわらず、歴史的に高く評価され、保存され、収集されてきた。

なぜか。理由は明確である。植物画は単なる「植物の代替」ではなく、植物の意味を抽出し、凝縮し、固定した存在だからである。

実物の植物は変化し、枯れ、消える。しかし植物画は理想的な瞬間を固定し、美的構造を強調し、作者の視点を内包する。

ここには自然だけでなく、解釈がある[注2]。人は単なる存在よりも、意味づけられた存在に価値を感じる。ここで最初の結論が生まれた。人は自然そのものよりも、意味化された自然を珍重することがある。

Ⅵ-2. 研究ノート017が示したこと ── 再現自然は心理効果を持ちうる

研究ノート017では写真や映像を通した自然再現の心理効果を検討した。環境心理学では、自然環境がストレス軽減や注意回復に寄与することが示されている[注3]。しかし重要なのは、写真や映像であっても一定の効果が生じるという点である[注4]。これは何を意味するのか。人間は「自然そのもの」に反応しているのではなく、自然として認識された情報に反応している可能性がある。つまり自然の効果は、物理的接触よりも認知的解釈に依存している。この発見は決定的である。自然は再現され得る。しかし重要なのは再現可能性ではなく、再現された自然が機能しうるという事実である。

Ⅵ-3. 研究ノート018の目的 ── 再現自然は代替か、それとも独自存在か

研究ノート018の目的は、再現自然が単なる代替物ではないことを明らかにすることであった。

通常、自然が基準とされる。自然が本物であり、人工物はその代替とされる。

しかし三部作を通して見えてきた構造は次である。

これらは単なる代替では説明できない。

Ⅵ-4. 本研究の核心的問い

最終的な問いは次に到達する。自然と人工物は比較できるのか。比較が成立するには共通尺度が必要である[注5]。しかし自然と人工物は、生成原理が異なる・時間構造が異なる・存在様式が異なる。同一尺度で測れるとは限らない。

もし測れないなら、両者は優劣ではなく、別領域の存在となる。

Ⅵ-5. 三部作を通して導かれる構造的結論
第1段階:価値の逆転

植物画が実物以上に珍重される事実は、自然=上位人工=下位という前提を崩した。

第2段階:再現の機能性

写真・映像が心理効果を持つ事実は、自然の機能が再現可能であることを示した。しかし同時に、自然の効果は「意味認識」に依存する可能性を示唆した。

第3段階:比較不能性

再現自然は自然と同一にはならない。しかし劣るとも限らない。ここで導かれた結論は、自然と人工自然は比較不能である可能性が高い。比較不能とは価値がないことではない。むしろ、独自価値を持つことの証明である[注6]

Ⅵ-6. なぜ人工自然は独自価値を持つのか

人工自然は次の特性を持つ。

自然は持たない特性である。人工自然は自然の欠如ではない。人工自然は、人間の認知構造に適応した自然である。意味は構築される[注7]。人工自然は意味を設計できる。だから価値が生まれる。

Ⅵ-7. 結論

本三部作の結論は次である。自然は再現され得る。しかし重要なのは、再現自然は単なる代替ではなく、独自の存在であり、独自の価値構造を持つという事実である。自然と人工物は単純な優劣比較の対象ではない。

両者は異なる存在様式を持つ。そして人工自然は、意味・設計・時間固定・文脈性を内包することで、新しい価値領域を形成する。

Ⅵ-8. 最終到達点

本研究の問いはこう再定式化できる。

人は自然を愛しているのか。それとも意味づけられた自然を愛しているのか。三部作の検討から導かれる答えは明確である。人は単なる自然を愛しているのではない。

人は、意味を帯びた存在に価値を見出している。そして人工自然は、その意味を設計できる。ゆえに人工自然は代替物ではない。独立した価値領域である。この結論は、自然と人工物の対立を終わらせる。

そして新たな問いを開く。価値とは何か。意味とは何か。人間は何を求めているのか。本三部作はその入口に立っている。

ここから先は、より広い学際的研究へと接続する。それこそが、本研究の真の到達点である。

注・引用

[注1]
マックス・シェーラー『価値の秩序』
Max Scheler, Der Formalismus in der Ethik, 1913
日本語訳:『倫理学における形式主義』
価値は客観的秩序を持ち、人間はそれを志向する存在である。

[注2]
ハンス=ゲオルク・ガダマー『真理と方法』
Hans-Georg Gadamer, Wahrheit und Methode, 1960
日本語訳:『真理と方法』(法政大学出版局)
理解とは解釈であり、意味は歴史的文脈の中で形成される。

[注3]
スティーブン・カプラン/レイチェル・カプラン
Attention Restoration Theory
自然は注意回復をもたらす。

[注4]
ロジャー・ウルリッヒ(1984)
自然景観写真でも回復効果が確認された研究。

[注5]
トーマス・クーン『科学革命の構造』
Thomas S. Kuhn, 1962
共通尺度がなければ比較は成立しない。

[注6]
アイザイア・バーリン
価値多元論
異なる価値体系は単一基準で測れない。

[注7]
ピーター・バーガー/トーマス・ルックマン『現実の社会的構成』
Peter L. Berger & Thomas Luckmann, 1966
日本語訳:『現実の社会的構成』
意味は社会的に構築される。

次章(研究ノート019)への予告
── 波長・視覚疲労・焦点調節の科学

本章より、新章【第Ⅴ章|色と視覚】へと移行する。これまで本研究は「自然」「再現」「人工物」といった存在論的・文化的側面から植物と人間の関係を検討してきた。第Ⅴ章では視点を転換し、「色」という物理現象が視覚系に与える影響を、生理学的・光学的観点から検証する。

第一節(019)では、グリーンが「目にいい」と語られる通念を前提化せず、可視光の波長分布、網膜受容体の応答特性、焦点調節機構、視覚疲労の発生条件といった要素に分解して考察する。なぜ中間波長域が視覚系に安定的に作用すると言われるのか。その説明は生理的事実に基づくのか、それとも経験的印象に依拠した語りなのかを明確にする。

第Ⅴ章は、「グリーンは本当に目にいいのか」という問いを、感覚・制度・存在の三層から解体する試みである。

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