観葉植物ラボ
研究ノート第一巻 第Ⅳ章|015 フェイクグリーンでも効果は得られるのか
人・文化・空間・視覚から読み解く装飾グリーンの本質
目次
【第Ⅳ章|自然欲求の正体】人は何を「自然」として感じているのか
研究ノート015|フェイクグリーンでも効果は得られるのか
── 研究結果と実務視点の差
はじめに(研究課題の明示)
現代社会において植物は必ずしも実物である必要がなくなった。人工植物、写真、映像、仮想空間の植物など、多様な代理表現が日常環境に存在している。これらは一般に「本物の代用品」として理解されるが、近年の研究は、代理自然そのものにも心理的効果が存在する可能性を示している。
自然映像によるストレス低減効果が報告され[注2]、カラー画像でも心理改善が観察されている[注3]。さらに仮想植物による幸福度向上も報告されている[注1]。
自然を想像するだけでも回復効果が生じるという研究さえ存在する[注4]。この事実は一つの疑問を生じさせる。人間が求めているのは本当に植物なのか。もし代理自然でも効果が生じるなら、人間が求めているものは植物そのものではない可能性がある。
本研究ノートの問いは次の通りである。代理的緑は実物植物と同等の効果を持つのか。そしてさらに重要な問いがある。
人間は植物を欲しているのか、それとも植物に似た何かを欲しているのか。
Ⅰ. 代理自然の効果という事実
まず確認すべきは、代理自然の効果は仮説ではなく観察事実であるという点である。自然映像の提示ではストレス低減が確認されている[注2]。カラー画像の提示でも、不安の低下・快適感の増加が観察されている[注3]。仮想植物の提示では、認知能力向上・幸福度増加が報告されている[注1]。さらに、自然を想像するだけでも心理回復が起こることが示されている[注4]。ここから導かれる事実は明確である。
自然効果は物理的自然に限定されない。
従来の理解では、植物の効果は植物の存在に由来すると考えられていた。しかし研究結果は、そうではない可能性を示している。
Ⅱ. 欲求対象としての植物
この問題は欲求の問題である。人間が植物を求めるとき、それは通常、植物そのものへの欲求として理解される。
しかし代理自然の効果は、この理解を動揺させる。写真でも効果がある[注3]。映像でも効果がある[注2]。仮想植物でも効果がある[注1]。想像でも効果がある[注4]。
ここで見えてくるのは、欲求の構造である。人間はしばしば、欲求の対象を誤認する。植物を欲していると思いながら、実際には別のものを求めている可能性がある。代理自然研究は、この可能性を示している。
つまり植物は、欲求対象ではなく欲求の媒介物である可能性がある。
Ⅲ. 代理自然はなぜ効くのか
代理自然の効果は複数の仮説で説明できる。第一は感覚刺激仮説である。視覚刺激そのものが心理反応を生むという仮説である。画像提示研究はこの仮説を支持する[注3]。
第二は注意回復仮説である。自然刺激が注意疲労を回復させるという仮説である。自然映像研究はこの可能性を示している[注2]。
第三は象徴仮説である。植物が生命の象徴として知覚されるという仮説である。仮想植物の研究はこの可能性を示唆する[注1]。
仮想植物は生命ではない。しかし心理効果は生じる。ここに重要な事実がある。人間は実在よりも、意味に反応する。代理自然の効果は、この事実を示している。
Ⅳ. しかし同一ではない
しかし重要な制約がある。代理自然は効果を持つが、実物と同一ではない可能性が高い。
代理自然研究では、呈示方法によって効果が変化することが示されている[注1]。これは重要な示唆である。つまり代理自然の効果は、安定したものではない。
実物植物には、成長する、変化する、個体差がある、時間性があるという特徴がある。
代理自然にはこれらが存在しない。この差は本質的である。
代理自然:情報である
実物植物:存在である
この区別は決定的である。
Ⅴ. 人工物時代の自然欲求
代理自然研究が示しているのは、人工物時代の欲求の特徴である。現代人は、実物を必要とせずに満足できる。
写真で満足できる[注3]。映像で満足できる[注2]。仮想空間で満足できる[注1]。想像でも満足できる[注4]。しかし同時に、実物への欲求は消えない。この二重性が現代の特徴である。代理自然はこの構造を可視化する。
人間は、実物を必要としないほど適応している。しかし、実物を必要とするほど進化している。
この矛盾の中に、人工物時代の自然欲求が存在する。
Ⅵ. まとめ
代理自然は心理的改善に寄与する場合がある。これは研究によって確認されている。
しかし代理自然は実物と同一ではない可能性が高い。代理自然は情報であり、実物植物は存在である。
したがって結論は次のようになる。フェイクグリーンは代替になり得る。しかし同一にはならない。
代理自然の研究は、人間が植物を欲しているのか、それとも植物を通じて満たされる何かを欲しているのかという問いを明らかにする。
注・引用
[注1]
Mostajeran, F. et al. (2023)
Scientific Reports
日本語訳タイトル:「仮想植物の追加はVR空間における認知能力と心理的幸福を向上させる」
原文:Adding virtual plants improved cognitive performance and psychological well-being.
日本語訳:「仮想植物の追加は認知能力および心理的幸福を改善した」
研究内容:VRオフィス環境に植物モデルを追加した場合、認知能力向上・幸福度向上が観察された。
研究ノートとの関係:代理自然効果の直接証拠。
[注2]
川久保敦ほか (2014)
日本語タイトル:「自然環境の映像と音がストレス低減に及ぼす影響」
引用:自然環境映像提示によりストレス指標の改善が見られた。
研究ノートとの関係:映像自然の効果。
[注3]
齋藤由美ほか (2006)
日本語タイトル:「カラー映像によるストレス緩和効果の研究」
引用:不安などの負の感情が有意に減少した。
日本語訳:「不安などの負の感情が統計的に有意に減少した」
研究ノートとの関係:画像自然の効果。
[注4]
Senno et al. (2024)
Journal of Environmental Psychology
日本語訳タイトル:「自然の心的イメージの回復効果」
引用:Mental imagery of nature produced restorative effects.
日本語訳:「自然の心的イメージは回復効果を生じさせた」
研究ノートとの関係:代理自然の極限形態。
次章(研究ノート016)への予告
── 実物がなくても自然を感じる理由
植物は古代の壁画以来、人間の表現の中に繰り返し描かれてきた。西洋絵画や日本画においても植物は最も普遍的なモチーフの一つであり、今日に至るまで高い評価を受け続けている。しかし絵画としての植物は、実物の植物そのものではない。写実的な作品もあれば、実在の植物から大きく離れた表現も存在する。それにもかかわらず、人はそこに自然を感じ、価値を認め、ときには実物の植物をはるかに上回る価格を支払う。
この事実は重要な問いを提起する。人間は植物を求めているのか、それとも植物を表現した別の何かを求めているのか。植物画は単なる代替物ではなく、やがてアートという独自の価値領域を形成した。本物に似せた人工物やフェイクという概念を超えて、植物は「描かれた対象」として新しい意味を獲得したのである。
研究ノート016では、古代壁画から近代絵画に至る植物表現の系譜を手がかりに、実物が存在しなくても自然が感じられる理由を検討する。そして植物への欲求が、いつどのようにして「植物そのもの」から「表現された植物」へと移行し得たのかを問い直す。ここには、人間が本物にこだわりながら同時に本物を離れていくという、
欲求の構造的変化が現れている可能性がある。

