観葉植物ラボ
研究ノート|000 観葉植物ラボ設立宣言
人・文化・空間・視覚から読み解く、装飾グリーンという問い
目次
はじめに(研究課題の明示)
最初にお断りしておく。現代においてオフィスやリビングのインテリアとして定着している「観葉植物」という言葉やその明確な定義は後年になって作られたものであり、当時はそのような言葉や定義自体が存在しなかった。したがって、観葉植物という表現は後年の誤解を招く可能性があるため、本稿における記述は、いわゆる現代的なインテリアとしての「観葉植物」のみに限定せず、園芸植物、農作物、花卉(かき)を含む「植物全般」という広い範囲を対象とする。
広く一般家庭へ普及した時期という意味では、主に昭和30年代以降、日本住宅公団による食寝分離をはじめとする住生活様式の近代化と、それに伴う住環境の洋風化を契機とするものと考えられる(注1)。
明治後期から大正期にかけての園芸文化においては、葉姿(はすがた)を鑑賞対象とする植物群への関心が高まっていた事実が、当時の出版物や記録から確認できる。ただし、現代における「室内インテリアとしての観葉植物」という統一的な社会概念や定義が当時すでに確立していたかについては、現時点の文献調査では一次資料による直接確認には至っていないため、確かとは言えない(注2)。
当時はそのような現代的定義や室内装飾としての専門概念が広く共有されていたことは確認できないため、本稿は植物全般という広い視野に立ち、一見すると静かで周縁的(しゅうえんてき)にも見える存在を、単なる装飾物や癒しの対象としてではなく、人類の文化史・思想史・空間認識が交差する地点として捉え直すための連続的な思考の記録を目指す。
観葉植物ラボにおける「研究ノート」とは、単なる情報整理や解説記事ではない。実務、歴史、文化、思想、産業、空間設計といった異なる領域を横断しながら、観賞用植物が人間社会の中で果たしてきた役割を問い直し、未来に向けてどのような意味を持ち得るのかを考察するための、開かれた知的実験場である。
本稿「研究ノート000」は、その創刊号として、研究対象・研究姿勢・問題意識を明確にし、以後のすべての研究ノートの思想的基盤を提示することを目的とする。
はじめに|注
注1
日本住宅公団は昭和30年(1955年)に設立され、昭和30〜40年代にかけて都市圏近郊に大規模な集合住宅を供給した。食事空間と就寝空間を分ける「食寝分離」の考え方は、建築学者・建築家の西山夘三(にしやまうぞう)が1942年に発表した論考「住居空間の用途構成に於ける食寝分離論」(『建築学会論文集』第25号、1942年、149–155頁)に端を発し、2DK・ダイニングキッチンという間取りとして公団住宅に採用された。こうした住様式の変化が、室内に植物を置くライフスタイルが大衆に普及していく素地を整えたと考えられるが、観葉植物の普及と住宅近代化の直接的な因果関係を示す一次資料は現時点で特定できていないため、本注は本ラボによる文化史的推論に基づく仮説として記す。
注2
明治後期から大正期の園芸文化においては、葉姿の変異・斑入り(ふいり)・形態を鑑賞対象とする植物が複数愛好されていた。たとえば「変わり葉ゼラニウム」は明治末期から大正期にかけて欧米から輸入された品種をもとに独自に改良され広まったことが、広島市植物公園の公式記録から確認できる。また万年青(おもと)は室町時代以降から葉芸を鑑賞対象として栽培が続いており、明治期にも愛好が続いた事実は、東邦大学薬学部付属薬用植物園およびNHK出版「みんなの趣味の園芸」の解説からも確認できる。ただし「観葉植物」という語彙(ごい)がこの時期の園芸雑誌・栽培書においてどの時点から使用されはじめたかについては、現時点の調査では特定の一次文献を確認するに至っていない。語彙の初出に関しては仮説的記述として扱う。
Ⅰ. 研究対象としての「観葉植物」という選択
観葉植物(対象としての植物全般)は、食料や資材の生産を目的とする農業や林業とも異なり、また絵画や彫刻といった純粋な美術・工芸とも一線を画す。それは実用性と観賞性、自然と人工、生命とデザインの境界に位置する、きわめて曖昧で、しかし豊穣(ほうじょう)な領域を形成している。
にもかかわらず、一般的な商業空間や日常生活の文脈において、観葉植物は「癒し」「装飾」「インテリアの付属物」といった機能的・即物的(そくぶつてき)な言葉のみで消費されがちであり、その背後にあるはずの重層的な文化的・歴史的文脈が広く一般に掘り下げられて共有されているとは言い難い(注3)。
一般に、植物を単に生存や屋外栽培の対象(「育てる」行為)として捉えるだけでなく、造形そのものを愛でる(「観る」行為)対象として、あえて境界を区切られた「室内」という人工空間に迎え入れる行為は、人間の自然観や美意識、さらには建築的な空間認識の変容と深く連動しながら推移してきたと考えられる(注4)。
本ラボが観葉植物を研究の俎上(そじょう)に載せるということは、単なる園芸技術の追究に留まらない。それは、
・人はなぜ自然の一部をわざわざ室内に持ち込もうとしたのか
・人はなぜ自然の一部をわざわざ室内に持ち込もうとしたのか
・なぜそれが一過性の流行に終わらず文化として定着し、近代的な産業にまで発展したのか
という、人間と自然、速度、環境、空間を巡る根源的な問いを、人類史および生活文化史の一断面から照射する試みである。
Ⅰ章|注
注3
根拠:本ラボによる19世紀生活文化史および空間史の解釈・推論に基づく。
19世紀のイギリスでは、医師・アマチュア博物学者であったナサニエル・バグショー・ウォード(Nathaniel Bagshaw Ward, 1791–1868)が1829年に偶然の観察から着想し、その後の実験を経て実用化したガラスと木枠を組み合わせた密閉型の携帯植物ケース——のちに「ウォード箱(Wardian case)」と呼ばれる——の普及を契機として、熱帯植物を安全に輸送・保管する手段が確立され、エキゾチックな植物を室内に飾る文化が都市部の富裕層や中産階級の植物愛好家層を中心に広がった。この動向は単なる園芸趣味にとどまらず、階級的ステータスや室内装飾上の洗練の証明としての意味合いを帯びていたことが、複数の園芸史・文化史資料で言及されている。本研究が照射しようとするのは、そうした「インテリアの記号」としての側面だけでなく、都市化の中で自然への憧憬(しょうけい)を室内という形で満たそうとした当時の人々の内面的文脈——すなわち観賞植物文化の根底にある思想的動機——である。
注4
根拠:歴史的潮流を背景とした本ラボによる空間思想的仮説。
人類が植物を「食べる」「利用する」という生物学的な依存関係を超え、その色彩や形態を「観賞する」ために室内や身近な庭園に配置し始めた時期は、住環境の遮蔽性(しゃへいせい)(外敵や外気からの保護)が高まり、人間が「自然をコントロールできる」という空間的・心理的余裕——すなわち住空間の思想的洗練——を獲得した時期と重なっているという仮説を立てることができる。この記述は特定の文献に依拠するものではなく、歴史的潮流を背景とした推論であり、詳細な実証については今後の研究課題とする。
Ⅱ. 植物という存在の「時間的スケール」
植物は、人類の誕生よりもはるか以前から地球上に存在していた。陸上植物の起源については、化石記録および分子時計による研究の両方から現在も研究が続けられており、少なくとも古生代オルドビス紀(約4億8540万〜4億4380万年前)の地層から陸上植物の祖先と見られる微化石が確認されており、光合成を行う生命の起源まで遡れば(さかのぼれば)数十億年という、人間の想像を超える時間をかけ、環境に適応し、分化し、進化を重ねてきた存在である(注5)。
人類史が地球の暦において「一瞬」にすぎないとすれば、植物の歴史は、地球そのものの変遷と深く重なっている。光合成によって大気中の二酸化炭素を吸収して酸素を生み出し、岩石を風化させて土壌の基礎を築き、あらゆる生態系の基盤をつくって生命の循環を支えてきた植物は、微生物群と並び、地球環境の形成と維持において重要な役割を担ってきた。それにもかかわらず、我々人間が植物について理解していることは、その膨大な歴史と存在の厚みに比べれば、未だ限られた領域に留まっていると言わざるを得ない。現代の植物生理学やゲノム科学が急速に発展している現在においても、植物が周囲の環境を感知し、適応していく複雑なメカニズムには、未解明の領域や、人間の認知では捉えきれていない多層的な情報が多く残されている(注6)。
したがって、ここで植物(後年「観葉植物」と呼ばれるようになる観賞用植物の祖先を含む植物全般)を研究することは、単なる園芸的知識の深化ではない。それは、人類よりもはるかに長い地球の時間を生きてきた存在と、後発の生命である人間が、歴史の中でどのような関係性を結んできたのかを、時間軸を大きく広げて問い直す行為である。
Ⅱ章|注
注5
Kenrick, P. & Crane, P.R. (1997) The Origin and Early Diversification of Land Plants: A Cladistic Study. Smithsonian Institution Press, Washington, D.C.(ISBN: 1-56098-730-8 ハードカバー版 / 1-56098-729-4 ペーパーバック版)
陸上植物の起源と初期多様化に関する系統分類学的研究の文献。著者ポール・ケンリックはロンドン自然史博物館古生物学部門の研究者、ピーター・クレインは1997年当時シカゴ・フィールド博物館館長(1992〜1999年在任)を務めた植物学者である。化石記録と分岐分類学(クラディスティクス)の手法を組み合わせ、陸上植物の起源と初期の多様化プロセスを体系的に検証した基礎研究であり、陸上植物進化研究において広く参照されている。
注6
Chamovitz, D. (2012) What a Plant Knows: A Field Guide to the Senses. Scientific American / Farrar, Straus and Giroux, New York.(ISBN: 978-0-374-28873-0)
テルアビブ大学マンナ植物バイオサイエンスセンター所長(刊行当時)のダニエル・チャモヴィッツ(Daniel Chamovitz)が植物が目や耳を持たないにもかかわらず、光の波長・化学物質・物理的接触などを感知し、記憶に類する応答を示しながら環境に適応していることを、遺伝学・分子生物学の知見をもとに解説した一般向け科学書。人間が主観的に「静かで受動的」と捉えがちな植物が、実際には多層的な情報処理を行っているという事実を示しており、植物に対する認識を問い直す契機を与えている。複数言語に翻訳された科学書であり、改訂増補版が2017年に刊行されている。
Ⅲ. 植物と動物、人間との相互関係
植物と動物は、単なる対立関係ではなく、地球史を通じて複雑な相互依存関係の中で進化を遂げてきた。光合成による酸素の供給と二酸化炭素の吸収、食物連鎖における有機物の生産、そして元素の栄養循環など、両者は地球環境の変動を伴いながらも、動的な均衡関係を構築してきた(注7)。
人間もまた、生物学的な生態系の一員としてその例外ではない。人類の生存において、植物は食料や衣類、建築資材、医薬品といった直接的な生命維持資源として不可欠な存在であり続けてきた。さらに、歴史学や人類学の知見によれば、植物は単なる物理的資源に留まらず、特定の時代や地域、文化圏において、宗教的儀礼の対象や芸術のモチーフ、あるいは精神的な平穏をもたらす象徴としても人間の生活に関わってきたとされる(注8)。
この多面的な相互関係を踏まえれば、植物(のちに「観葉植物」という概念へ収斂(しゅうれん)していく観賞用生命体を含む植物全般)を研究することは、地球環境の動的な成り立ちを検証することであり、生命の生存の連なりを網羅的に理解しようとすることである。それはひいては、植物という他者を通じて「人間そのものの文化や生存の有り様」を知ろうとする思想的・学術的行為である。
近代において「観葉植物」として定着する、植物の形態や葉の造形を対象化して愛でるという切り口は、自然界に存在する無数の植物の中から、人間が特定の個体を選別し、変異を保護し、生活空間に配置するという「文化的選択」がとりわけ色濃く反映された領域である。したがって、この関係性を紐解くことは、人間が自然をどのように認識し、操作し、共生しようとしてきたかという精神史の一断面を浮き彫りにする契機となる。
Ⅲ章|注
注7
Lovelock, J.E. (1979) Gaia: A New Look at Life on Earth. Oxford University Press, Oxford.(ISBN: 0-19-217665-X 1979年初版ハードカバー)
イギリスの独立科学者・化学者ジェームズ・ラブロック(James Lovelock, 1919–2022)による著作。地球の生物圏・大気圏・海洋圏・土壌圏は互いに孤立することなく、植物や微生物をはじめとする生物の活動を通じて物理化学的環境を自己調節する一つの動的システム(ガイア)を構成しているという仮説を提示した。植物と動物のガス交換や栄養循環が、地球規模の環境維持において相互依存関係にあることを科学的・思想的に記述しており、気候科学・地球システム科学・環境思想に広く影響を与えた著作である。なお、ガイア仮説は科学的な批判を受けてきた経緯もあり、地球システムの自己調節をめぐる議論は現在も継続中である。
注8
Thomas, K. (1983) Man and the Natural World: Changing Attitudes in England 1500–1800. Allen Lane, London.(ISBN: 0-7139-1227-8。Penguin Books版, 1984)
イギリスの歴史家キース・トマス(Keith Thomas)による歴史研究。16世紀から18世紀にかけてのイギリス社会を対象に、人間が植物や動物を実用的資源として扱う人間中心的な世界観から、都市化・産業化の進展とともに自然に審美的価値・精神的な癒し・道徳的な象徴性を見出していく過程を、膨大な一次資料に基づいて論じた文献。植物が単なる資源を超えて文化的・精神的な意味を帯びていく変遷を体系的に記述しており、本研究の視点と共鳴する文献である。
Ⅳ. 「観賞する」「装飾する」という人間特有の行為
人類は、植物を単に飢えをしのぐ食料や道具の資材として利用するだけでなく、その姿を「観る」、造形を「愛でる」、空間に「飾る」という独自の行為を見出していった。生存に直結するわけではない植物をわざわざ境界化された室内に持ち込み、日々手をかけ、その成長を見守り、住空間の一部として配置する。
この行為は、単なる生物学的な必要性や生存のための本能行動ではない。むしろ、人類が歴史の中で育んできた高度に文化的な側面を持つ、思想的で、ある種の余裕のある選択であると言える(注9)。
人はなぜ、植物を身近に置いて愛でるのか。なぜ生存に不可欠ではないその存在に、独自の価値を見出してきたのか。その内面的な動機の全容は現時点の歴史学・人類学においても実証されているわけではないが、そこには、外側の野生の自然を自らの領域へと制御しようとする欲望だけでなく、自然の生命力を身近に感じることで「自然と共に在ろうとする姿勢」、あるいは植物の成長という「時間の流れを生活の中に取り込もうとする感性」が複雑に交錯して存在していたという仮説を立てることができる(注10)。
後年になって「観葉植物」という言葉に集約されていくこうした鑑賞文化とは、人間が自然をどのように解釈し、どのように距離を取り、どのように共存しようとしてきたかという、人間の精神史の変遷を静かに映し出す鏡のひとつとなり得る。
Ⅳ章|注
注9
Tuan, Y. (1984) Dominance and Affection: The Making of Pets. Yale University Press, New Haven.(ISBN: 0-300-03222-2)
地理学者・人文地理学者であるイー=フー・トゥアン(Yi-Fu Tuan, 1930–2022)が、人間が植物をトピアリーや盆栽に仕立てたり、動物を飼い慣らしたり、自然を庭園として造形したりする行為を、「支配(コントロールしたいという欲求)」と「愛着(美的な慈しみ)」という二つの心理の融合として分析した著作。植物を室内に囲い込み装飾化する行為が、生存に直結しない自然を飼い慣らそうとする人間の文化的衝動と深く結びついているという視座を提供しており、人文地理学・環境思想の分野において広く参照されている文献のひとつである。
注10
根拠:近代都市の生活変容に関する一般的知見に基づく本ラボによる考察。
都市化によって外側の自然から切り離された近代の人間が、室内に植物の鉢植えを配置することで、人工的な空間の中に「変化する有機的な時間」や「失われた自然との心理的接続」を取り戻そうとした精神的メカニズムについて記述している。この記述は特定の文献に依拠するものではなく、本ラボによる考察に基づく仮説であり、詳細な実証については今後の研究課題とする。
Ⅴ. 日本文化における観賞植物の土壌
東洋のはるか端に位置する、海に囲まれた島国・日本。この地が、なぜ長い歴史の中で独自の文化体系を育み、発展を遂げてきたのか。それは特定の英雄的人物の存在だけでは説明できない。一般市民層にまで生活文化が広く浸透していた点が、日本文化の特徴の一つとして論じられることがある。
近代以前の日本に見られた、外側の野生の自然を力尽くで排除・征服するのではない、自然への調和の姿勢、そして住空間の境界を曖昧にして環境を取り込もうとする思想(注11)、さらに宗教・芸術・美意識が日常の生活空間と比較的連続性を保った社会構造。盆栽、庭園、床の間、花入れ、掛軸。これらはいずれも、自然の断片をそのまま持ち込むのではない、「自然を縮景(しゅっけい)し、あるいは見立ての記号として空間に配置する」という共通の空間思想を内包している。
現代のインテリアグリーンのような室内用の植物文化は、近代以降に西洋から突然何もない空間に輸入されたわけではない。日本文化の深層には、江戸時代の古典園芸(葉物や斑入りを珍重した独自の美意識)に見られるような、植物の微細な変異や造形を愛でる感性が息づいていた。この固有の美意識の変容こそが、のちに西洋由来のインテリアグリーンを生活空間へ違和感なく溶け込ませるための、精神的な礎となった可能性があるのではないか──。なお、このような日本文化と観賞植物との連続性については、複数の園芸史・文化史研究において示唆されているものの、現時点では統一的な学説として確立されているわけではなく、本研究では仮説的視座として位置づける。本研究では、単なる文化史的な連続性としてではなく、植物との対峙における「愛好の感性」が時代を超えて継承・変容した可能性として、この動向を捉えたいと考えている(注12)。
Ⅴ章|注
注11
磯崎新(2003)『建築における「日本的なもの」』新潮社(ISBN: 978-4-10-458701-8)、および日本思想史における自然観に関する諸研究
磯崎新『建築における「日本的なもの」』は、伊勢神宮論や桂離宮論などを通じて、近現代の日本人が「日本的なもの」をどのように問い直し続けてきたかを論じた建築思想史の著作であり、本書が「観葉植物」や室内装飾を直接の主題として扱っているわけではない。可動式の建具(障子・襖など)を開け放つことで外部の庭(自然)と室内を緩やかに地続きにするという日本の伝統木造建築の空間的特徴は、建築史・住居史において広く指摘されている一般的な知見である。本ノートは、磯崎の著書が提起する「日本的なものを問い直す構え」を参照しつつ、自然を対立物として排除するのではなく住空間の内部へ「縮景」や「借景」として調和的に取り込む思想が底流に存在していたと解釈することを、観葉植物ラボ独自の視点として提示するものである。
注12
江戸遺跡研究会 編(2025)『江戸の園芸』吉川弘文館(ISBN: 978-4-642-04371-7)所収、平野恵「園芸文化研究の可能性」
江戸時代後期、日本の都市部では、大名から一般の庶民・職人に至るまで、植物の「斑入り」や「奇品」を小さな鉢植えで熱狂的に仕立てて愛でる「古典園芸」が独自の発展を遂げていた。「花」ではなく「葉そのものの微細な造形美や変異を狭い鉢の中で見出す」という江戸期の園芸的感性と栽培技術が蓄積されていたことが、のちに昭和期以降、日本の住環境が洋風化していく中で、西洋由来のインテリア・グリーンを生活空間へ違和感なく溶け込ませていくための、精神的・審美的な伏流のひとつとなった可能性があるという歴史的推論が成り立っている。
Ⅵ. 文化・創造性・空間編集への連続性
現代日本において展開されているアニメーション、ゲーム、建築、プロダクト、あるいは都市の空間デザインといったコンテンツやクリエイティブ産業。それらの諸領域に共通して見られるとされる、背景美術の細部へのこだわりや、限定された枠組みの中に世界観を構築して空間全体を編集する能力。
当ラボ独自の思想的仮説として、これらの現代的な創造性は突如として無から生まれたものではなく、前近代から続く日本人の住まいや生活空間の中で「何を置き、何を省き、どこに人間の視線を導くか」を多角的に検証し続けてきた、長期的な文化的蓄積の延長線上にある可能性があるのではないか、というマクロな歴史的仮説を立てることができる。
植物という、時間経過とともに成長し、形状を変化させる生命体をあえて人工的な空間に配置し、その不確実な変化を前提としながら美を設計・制御しようとする行為は、静的な調度品を配置する行為とは異なり、高度な空間の編集能力や環境管理の手法と深く関わっている可能性がある。
ただし、現時点の歴史学や意匠史等の学術領域において、のちに「観葉植物」と呼ばれるようになる植物の鑑賞行為と、現代のコンテンツ産業における空間編集能力を直接的に結びつけ、その因果関係を実証した具体的な文献は見出されていない。これを現段階で実証することは困難であるが、本ラボでは、これを日本の空間認識の底流を探るための「未踏の作業仮説」として位置づけている。
しかしながら、絵画や建築の歴史において、室内や庭園における植物の配置・トリミング(切り取り)の作法が、人間の空間認識や視覚的な感性を養うための一つの補助線、あるいは空間知覚のトレーニングとして機能してきた側面は一部の美術史・装飾史研究において関連する視点が示されているが、統一的な見解には至っていない(注13)。
したがって、日本の生活空間における植物(全般)の配置の歴史が、現代のクリエイターやデザイナーの空間感覚にどのような影響を伏流として与えているかについては、実証的な事実確認が取れていない未踏の領域であるものの、人間と植物の空間的関係性を紐解く上での一つの仮説的なアプローチとして、今後さらに検証を深めていくべき研究上の視座であると考えられる。
なお、本章で述べる「空間編集感覚」の連続性は、直接的な因果関係を示すものではなく、日本文化における空間構成感覚の長期的傾向を比較文化的に観察するための試論的視座である。
Ⅵ章|注
注13
Riegl, A. (1893) Stilfragen: Grundlegungen zu einer Geschichte der Ornamentik. Georg Siemens, Berlin.
(仮訳)『様式の問題——装飾史の基礎』。オーストリアの美術史家アロイス・リーグル(Alois Riegl, 1858–1905)が著した装飾史研究の文献。蓮(ロータス)・パルメット・唐草(テンドリル)・アカンサスといった植物モチーフが、古代エジプトからギリシャ・ローマ・イスラム世界に至るまで連続的に変容・抽象化されながら装飾として用いられてきた過程を辿り、こうした装飾の発展が素材や技術上の制約からではなく、人間の内的な「芸術意欲(Kunstwollen)」に基づく自律的な創造プロセスの歴史であったことを論じている。装飾史・美術史の方法論における文献として現在も参照されている。なお、リーグルが論じた植物モチーフの抽象化と様式の内発的発展という論理を、現代の生きた生体植物を人工空間へ配置する「空間編集」という行為にアナロジーとして援用することには飛躍が含まれる。しかし、装飾の歴史が人間の内的な「芸術意欲(Kunstwollen)」に基づいて自律的に展開してきたという視座は、現代の空間デザイナーが植物の配置を通じて行っている試行錯誤を理解するための補助線となり得る。本引用は、この視点に基づいた当ラボ独自のアナロジー的仮説である。
Ⅶ. 「研究ノート」とは何か──本研究の方法論
ここで改めて、観葉植物ラボにおける「研究ノート」の定義およびその検証方法論を明確にしておく。
本研究ノートは、大学等の研究機関が発行する学術論文の形式(厳密な統計データや査読制度)を模倣するものではない。また同時に、植物の栽培方法や管理技術のみを記述した一般的な啓蒙記事や、商業的なハウツー解説とも一線を画す。
本研究ノートが採用する方法論とは、記述者がこれまで園芸や空間デザイン等の実務の現場で植物と向き合ってきた経験や観察をひとつの立脚点としつつ、歴史、文化、思想、空間設計、視覚芸術といった異なる領域を横断的に渉猟(しょうりょう)し、確実な歴史的事実と、現時点では実証されていない仮説とを厳格に峻別(しゅんべつ)しながら思考を積み重ねていくプロセスそのものである。
したがって、本ノートは安易に単一の結論を急がず、また検証不可能な事象に対して単一の正解を提示することもしない。確実な文献やデータが存在する事実についてはそれをできるだけ明記する努力をし、事実確認が取れていない領域や、確かかどうかは現時点ではわからない事象については、「文献などでは見つけられていないが、このような歴史的背景が伏流していたという仮説が成り立つ」との断りを入れるようにしていきたいと考えている。
本研究ノートの目的は、植物全般(のちに観葉植物と呼ばれるにいたる対象)が人間社会において果たしてきた役割について、問いの精度を深め、多角的な視点を提示し、読者自身のクリエイティブな思考や空間認識を促すための「開かれた知的実験場」として機能することにある。
Ⅷ. 未来への視座としての観賞植物研究
これからの日本が、世界やアジア地域の中でひとつの文化的ハブとして機能していくその可能性が議論されることがある、という将来的な予測やビジョンがある。当ラボ独自の仮説的な見通しとして、この構想を具現化するにあたっては、単なる経済的・技術的な優位性だけでなく、固有の文化を再編集し、現代の都市や生活空間に説得力を与える独自の知性が求められるという方向性を想定することができる。
のちに「観葉植物」と呼ばれるようになる観賞用植物(および植物全般)は、そうした空間編集や文化発信を考察する上での、ひとつの象徴的な媒体となり得る可能性を内包していると考えられる。それは、建築物の造形のように声高に自らの存在を主張するわけではないが、人工空間の中に有機的な時間や変化をもたらすことで、結果として人と空間の関係性を静かに変容させていく機能を持っている可能性がある。
ただし、現時点の空間デザイン史やコンテンツ産業論などの学術領域において、観賞植物の導入がアジアにおける日本の文化的発信力や文化的プレゼンスに影響を与えるという明確な事実確認や、それを実証した具体的な文献資料は現時点で見出されていない。しかし本研究ノートは、この不確実性にあえて足場を置き、身近でありながら多層的なレンズを通すことによって、人間・文化・空間が未来に向けてどのように新しい関係性を結び直すことができるのか、その未来像を思想的に構想し、対話を促すための仮説的な地平を提示する知的試みを原点とする。
まとめ
なぜ今、植物全般、とりわけ後年に「観葉植物」という言葉に集約されていく観賞用植物の歴史や文化を研究するのか。
それは、のちに観葉植物と呼ばれるにいたる対象が、人類よりもはるかに長い地球の時間を生きてきた植物という生命体と、独自の文化や空間構築の作法を持つ存在としての人間とを、生活空間の内部において結びつける、人間と植物の関係性を読み解くうえで、有力な接点となり得るのではないか、というラボ独自の思想的仮説に基づいている。
ただし、現時点の歴史学や文化人類学、あるいは環境デザイン史などの学術領域において、観葉植物の研究が人間と植物の関係性を総合的に捉える有力な視座であると実証した具体的な文献資料やデータは見出されていない。すなわち、この領域は未だ強固に体系化されていない未開拓の地平である。しかしながら、観葉植物ラボ「研究ノート」は、単に確定した過去の園芸史を讃えるための記録に留まるものではない。それは、事実としての歴史を立脚点としつつ、人間・文化・空間が未来に向けてどのように新しい関係性を結び直すことができるのかという、未来の視座を構想するための思考の足場である。
── 研究ノート000、ここに創刊する。
研究ノートについて
- 本研究ノートには、既存研究に基づく事実記述と、観葉植物ラボ独自の仮説的考察が含まれる。仮説部分については、その旨を明示した上で記載するように努めている。
- 本研究ノートの内容は、複数の公開情報・既存研究・業界知見をもとに、観葉植物ラボ独自の実務視点で整理・編集されています。本研究ノートは、情報の正確性・再現性に最大限配慮して作成していますが、すべての空間条件・設計条件・管理環境に対して結果を保証するものではありません。具体的な設計・導入・運用判断については、各施設・用途・環境条件に応じた専門的検討を前提としてください。
- 本研究ノートに記載した参照文献の書誌情報(著者・書名・刊行年・出版社・ISBN)は、公開書誌データベースおよび出版社情報をもとに調査・確認のうえ記載していますが、引用文については原典テキストの確認が困難な文献が含まれるため、各文献の趣旨・内容の要旨を「注」として記載するにとどめています。正確な引用を行う場合は、各文献の原典または国立国会図書館デジタルコレクション等をご参照ください。
次章(001)への予告——人はいつから植物を「見るもの」として扱い始めたのか
次章・研究ノート001では、観賞用植物の成り立ちを起点に、人と植物の関係がいかにして「育てる」「利用する」対象から、「見る」「配置する」対象へと変化していったのかを探ります。宗教的・社会的背景、生活空間の変化、価値観の転換といった複数の視点から、人はいつ、どのような契機によって植物を観賞の対象として捉え始めたのか。その起点と構造を整理しながら、観賞用植物という概念が成立するまでの過程を読み解いていきます。

